2018年5月8日火曜日

宮内庁の境界標

 GW中、奈良県は高松塚古墳、石舞台のある明日香を訪ねました。
 

 蘇我馬子、聖徳太子の生きた6世紀。入鹿の首塚と云われる石塔が残る飛鳥寺は、日本で最初に仏舎利を埋めたといわれる寺院。


レンタサイクルで、のどかな坂道をたどり飛鳥資料館に着くと、古いこの地方の地図に関する展示がされていました。

昭和47年に高松塚の石室を関西大学のチームが初めて掘り出し、そこに彩色された1600年前の風俗画や玄武、白虎を発見したという記録映像を観た後に、明日香一帯の和紙絵図が現在の航空写真等と共に数多く展示されているコーナーに入ります。

明治後半の公図の中で、石舞台が田畑のどまん中の一筆の中に在ったとか、入鹿の首塚もひとつの地番で、周囲の農地と異なった彩色が施された様子等が展示されていました。

明治6年より新政府が行った地租改正事業による明治12年の奈良県改正租図から、地押図などが歴史研究家の方々の視点で数多く展示されていたのですが、土地家屋調査士の見方からするといかがなものか、という解説もされていました。

明日香の地は、ほぼ平坦ながらも、大和三山 耳成山、畝傍山、香具山といった、神が宿る自然の山と、人の手で創られたであろう多くの古墳、陵があり、更には宮内庁の立看板、鉄柵で囲まれ、かつて社会科の授業で覚えかけた天皇の名が、そこかしこに登場する、いわゆる山の辺の道へとつながっていきます。

宿をとった近鉄橿原神宮駅の北西に位置する神宮境内は広大で、休暇中日でも参拝者は混み合うほどのことの無く、神武天皇即位の跡として紀元2678年と記された大きな板書が用意され、古墳時代の大和朝廷初期が、半ば神話であったとしても神聖な気持ちをもって、玉砂利を踏みしめてまいりました。

昭和64年1月7日から平成元年1月8日と登記申請日付を切り替えて30年余り。

日本国の和暦ルール。

私の息子は、みどりの日は平成18年まで昭和の日だったと、人前で話していましたが、還暦を越えた自分にとって4月29日は、やはり天皇誕生日。昭和で29年間、平成で31年間。来春発表される新元号を用いて登記申請をする頃には、土地家屋調査士職歴35年を迎えます。

太古の昔から土地はあり、数多くの陵墓は同じ位置にて後世の民により、気ままに掘り起こされることもある。

此の国の美しさ、そして歴史そのものに触れてきました。